大阪高等裁判所 昭和41年(行コ)113号 判決 1969年3月31日
控訴人 株式会社日和橋倉庫
被控訴人 港税務署長 外一名
訴訟代理人 北谷健一 外三名
主文
原判決を取消す。
被控訴人港税務署長の被承継人西税務署長が控訴人に対し、控訴人の昭和三五年一〇月一日から昭和三六年九月三〇日までの事業年度にかかる法人税等について、昭和三七年八月三一日付でした更正決定(ただし、被控訴人大阪国税局長がした後記審査決定による一部取消後の残存部分)を取消す。
被控訴人大阪国税局長が控訴人に対し、昭和三九年九月五日付でした前記更正決定に対する審査決定(ただし、右更正決定を一部維持した部分)を取消す。
訴訟費用は、第一、二審共被控訴人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、次の事実は、当事者間に争いがない。
1 海運業、沿岸荷受業を営む会社である控訴人は、被控訴人港税務署長(ただし、当時は西税務署長。大蔵省組織規程の改正により、従前西税務署の管轄区域であつた大阪区市港区は、昭和三八年七月一日以降は新設の港税務署の管轄区域となつたので、これに伴い西税務署長の権限は港税務署長に承継されたものである。従つて、以下便宜上両者を区別することなく、「被控訴人署長」という。)に対し、昭和三六年一二月二九日付で、昭和三五年一〇月一日から昭和三六年九月三〇日までの事業年度分の法人税につき、一五二万一、四五九円の欠損があつたとする確定申告をしたところ、被控訴人署長は、昭和三七年八月三一日付で、所得金額一、三五〇万一、八四一円、法人税額五二三万二、三八〇円、重加算税額二六一万六、〇〇〇円とする更正決定をし、その旨控訴人に通知した。
2 控訴人は、これを不服として同年九月二八日再調査の請求をしたが、同年一〇月一八日請求を棄却されたので、同年一一月二日被控訴人大阪国税局長に対して審査請求をした。同局長は、昭和三九年九月五日付で、原処分を一部取消し、所得金額一、三二一万一、八四一円、法人税額五一一万一、一九〇円、重加算税額二五五万五、〇〇〇円とする審査決定をした。
3 右審査決定における所得金額一、三二一万一、八四一円と控訴人申告にかかる欠損額一五二万一、四五九円との差額である一、四七三万三、三〇〇円は、売主が何人であるかは別として、大阪市港区南福崎町三丁目一番の四宅地三二三・八三坪(一、〇七〇・五一平方メートル)及び同所一番の三二宅地九六・九六坪(三二〇・五二平方メートル)(以下「本件土地」という。)の大源株式会社への売却により生じた譲渡益に該当する
二、控訴人は、本件土地の譲渡益の帰属者は控訴人ではなく、山田茂であるから、これを控訴人に帰属するものとしてした本件更正決定は違法であり、取消しを免れないと主張する。
よつて案ずるに、<証拠省略>によれば、本件土地はかつて南福崎土地株式会社の所有名義であつたところ、昭和三三年八月一二日受付をもつて、同月九日の売買を原因として控訴人名義に所有権移転登記が経由され、更に昭和三六年五月六日受付をもつて、同年三月一三日の売買を原因として控訴人名義から大源株式会社に所有権移転登記が経由されていること、また本件土地につき、南福崎土地株式会社と控訴人との間に昭和三三年八月一日付の、売買契約書と同月九日付の売渡証書が、控訴人と大源株式会社との間に昭和三六年三月一一日付の売買契約書がそれぞれ作成されていることが認められる。これによれば、本件土地は形式上控訴人の所有であつたものであつて、大源株式会社への譲渡による収益も右形式に従い控訴人に帰属すると一応見ることができるが、所得税法及び法人税法が採つている実質所得者課税の原則により、右収益の実質的な享受者が他にあれば、右収益は、法形式の如何に拘らず、右の者に帰属するといわなければならない。そこで、以下この点について検討を加えることとする。
1 <証拠省略>を総合すると、山田茂は、戦前から本件土地の一部に当る約一八〇坪を借受け、木造船の船台を二線しせつ敷設して、造船修理業、荷揚業を営んでいたが、昭和三一年頃大阪市が本件土地の周辺一帯につき盛土工事と土地区画整理事業を行なうことになつた際、土地所有者の南福崎土地株式会社から立退方を求められ、交渉の末、同会社から賃借地を買受けてこれに対する換地を取得することになり、その結果、大阪市当局の斡旋もあつて造船や荷揚げをするのに適した約二四〇坪の埋立地を換地として確保できる見通しがついたので、区画整理による滅歩率が五割五分程度であることを勘案の上、昭和三三年八月一日同会社との間に、賃借地を含め計四二〇・七九坪に相当する本件土地の売買契約を締結したこと、右代金は一一七万八、二〇〇円(坪当り二、八〇〇円)で、鑑定人の計価に基づき借地権の存在を考慮して、時価よりも安く決められ、同日山田から同会社に代金が支払われたこと、右買受に際して山田は同会社に対し買受名義人を控訴人としたい旨申入れ、その了解を得たこと、以上の事実を認めることができる、
2 次に<証拠省略>を総合すると、山田は本件土地の購入資金にあてるため、昭和三三年七月七日金融業者の中沢商事こと中沢暁から一二〇万円を借受け、その際担保として、同人あてに額面一二〇万円、満期同年八月九日、振出人として山田及び山田が代表取締役をしている大港倉岬株式会計の連署がある約束手形一通<証拠省略>を振出したこと、右手形はその後数回書換えられ<証拠省略>、山田はその都度利息を支払つていたが、昭和三四年になつて内金二〇万円が返済されただけであつたので、同年五月二三日抵当権者を中沢、債権額を一〇〇万円、連帯債務者を山田茂として、山田の親族山田すず所有名義の大津市勝所上別保町字別保谷六四八番の一の山林一畝歩外三筆の土地につき抵当権設定契約が締結され、同月二五日付で右抵当権設定登記が経由されたこと、右借受金は後日本件土地を大源株式会社に売却した代金の中から、山田から中沢に対し返済されていること、右担保手形の振出人に大港倉庫株式会社が入つているのは貸主側の要求によるのであつて、他意あるものではなく、また借受けと前記売買締結の間の日数は、売買の折衝のために費やされたものであることが認められる。なお、<証拠省略>(約束手形)の記載と対比しても、前記<証拠省略>の約束手形に控訴人等主張のような疑問があるとは言い難い。
ところで、<証拠省略>によると、大阪市港区二条通三丁目二二番地所在、家屋番号同町二五番、楝瓦造スレート葺倉庫九〇坪につき、昭和三三年七月八日付で山田名義に所有権保存登記がされていることが認められ、前記の一二〇万円の借受日か同月七日であることから、右一二〇万円は倉庫の購入資金にあてられたもので、本件土地とは無関係ではないかとの疑問を生ずる余地なしとしないが、<証拠省略>によば、右倉庫は山田が昭和二三年頃公売により取得した元陸軍関係の建物の一部であり、昭和三二年頃には敷地所者の大阪港振興株式会社と山田との間で敷地の使用権原をめぐり訴訟が係属していた程であつて、前記の保存登記がされる遙か以前から山田の所有物件に属していたこと、前記の保存登記は当時福徳相互銀行との間で締結した取引契約上の債務を担保するために、右倉庫につき根抵当権設定と代物弁済予約の契約を締結する必要に出たものであることが窺われるから、前記の疑問は解消されたというべきである。
3 また、<証拠省略>によると、山田は昭和二五年に配炭公団から、同年二、三月頃買受けた石炭の売掛代金請求訴訟を提起され(大阪地方裁判所同年(ワ)第二、六九八号事件)、同公団から債権譲渡を受けて右訴訟に参加した国に対し、右代金六七八万六、六〇〇円とこれに対する損書金を支払うべき判決を受け、右判決は昭和二八年七月一八日確定していたこと、その後山田は近畿財務局との間で右金員の支払猶予方の交渉をしていたが、本件土地を買受たけた当時には遅延損害金を含め一一、債務額か一、二〇〇万ないし一、三〇〇万円に達していたのに拘らず、これを支払う目算が全くなく、本件土地につき山田名義で所有権移転登記を経るにおいては、前記債務名義によつて直ちに強制競売申立てを受けるおそれが多分にあつたこと、現実に、山田は前記債務名義に広づき、昭和三四年一一月には有体動産の差押えを受け、同年一二月には山田所有名義の土地建物について競売開始決定を受け(強制競売申立登記は昭和三五年三月。なお右土地逮物については、本件土地の買受当時他の債権者からする差押登記や所有権移転請求権保全仮登記がなされていた。)、更に昭和三五年四月には大港倉庫株式会社を第三債務者とし、山田の役員報蝋債権及び山田所有の事務所使用料債権につき債権並押及び取立命令を発せられていること、従つて、本件土地の差押を回避するためには、山田以外の者が買受けた如くにして所有権移転登記を経る必要があつたことが認められる(付言するに、<証拠省略>によれば、山田は昭和三五年に国を相手方として、前記債務の支払猶予を求める調停を申立て(大阪簡易裁判所同年(ノ)第五二九号事件)、昭和三八年一一月二二日に内金八〇万円を支払い、残元金五八〇万六、八六〇円と遅延損害金を分割支払う旨の調停が成立するに至つたことが認められる。)。
もつとも、大阪市港区二条通三丁日二二番地所在の倉庫につき昭和三三年七月八日付で山田名義に所有権保存登記がされたことは前記のとおりであるが、前認定のように右倉庫は元陸軍関係の建物であつてかなり老朽化していたものと考えられ、右保存登記と同時に福徳相互銀行のための根抵当権設定登記と所有権移転請求権保全仮登記が経由されたのであるから、右倉庫に関する限りは、山田名義で所有権保存登記をしても、早晩国から差押を受けるべきことを懸念するるに及ばなかつたものと推認することができる。
4 更に、<証拠省略>を総合すると、控訴会社は昭和三二年四月一八日設立登記をした会社であるが、当初の代表取締役は山田の妻ミズエであり、山田は監査役に就任し、昭和三四年一〇月から昭和三六年一〇月までは代表取締役の地位にあつて、実質的には山田が支配する同族会社であり、本件土地の買受名義人とするのに適当であつたこと、他面控訴会社としては、昭和三三年当時本件土地を買受ける資産能力がなかつたばかりでなく、南福崎土地株式会社から土地を借受けたことがないので、本件土地を買受ける資格もなかつたこと、控訴会社の昭和三三年四月一日から九月三〇日までの事業年度分の所得金額法人税額の確定申告書、同確定修正申告書に添付された決算報告書には、資産として本件土地が掲げられていず、不動産としては本社所在地にある建物が計上されているだけであること、控訴会社は本件土地につき賦課された固定資産税を支払つているが、後日山田との間で決済を終えていることが認められる。
なお、<証拠省略>によると、控訴会社は本件土地につきみずから債務者として、福徳相互銀行、大阪府中小企業信用保証協会、三菱倉庫株式会社、株式会社武山回漕店のために抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記を経由していることが認められるが、かかる事実は控訴会社が山田の個人会社であることに鑑みれば、敢て異とするに足りないというべきであるし、また、本件土地の買受当時山田が大港倉庫株式会社の代表取締役あつたことは前認定のとおりであるが、<証拠省略>によると、右会社は控訴会社が山田の個人会社であるのと異なり、親会社たる三菱倉庫株式会社の支配下にあつたことが窺われるから、本件土地の買受名義人としては、右会社よりも控訴会社を選ぶ方が都合が良かつたものと推認されるのである。
5 <証拠省略>を総合すると、山田は昭和三七年三月頃に昭和三六年分の所得税確定申告及び府・市民税申告の手続を石井計理士事務所に依頼し、同事務所において山田から事情を聴取の上申告書を作成し、期限を経過したが同年五月二二日確定申告書を西税務署に提出、受理されていること(府・市民税申告書は翌二三日に港区役所に提出)、右申告書には、山田の譲渡所得として本件土地の大源株式会社に対する譲渡による所得が計上されていたこと、その後本件更正決定に対する再調査請求の審理過程において、被控訴人署長の手許に右申告書がないことが判明したが、昭和三八年一〇月一〇日石井事務所から被控訴人署長に対し、右譲渡による所得が四九五万円(右金額の根拠は明らかでない。)、特別控除後の所得金額が二四〇万円、基礎控除後の課税所得金額が二三一万円であつて、これに対する税額は六二万一、〇〇〇円である旨を記載した確定申告書を再提出したこと、同署長は右確定申告の存在を前提に、同年一一月二五日付で山田に対し、昭和三六年分所得税の昭和三七年五月二一日(前記の申告受理日と一日の食違いがある。)の期限後申告により納付すべき本税額に対する無申告加算税の賦課であるとして、基礎税額六二万一、〇〇〇円に対し一二万四、二〇〇円の加算税賦課決定通知書を発したこと、山田は右確定申告にかかる所得税と加算税を、これに対する延滞税及び利子税と共に同年一一月二七日、一二月三日、同月二六日の三回にわたり分割納付していること、以上の事実が認められる。なお右納付後、昭和三九年九月五日付の本件審査決定の前後を通じ、また本件訴訟提起後においても、被控訴人署長から山田に対し、右納付額につき過誤納付による還付の措置がとられた形跡は見られない。
ちなみに、<証拠省略>によると、大阪市港区海岸通一丁目三番地所在の家屋番号同町三四番、木造瓦葺二階建事務所一棟も山田個人の所有であつて、昭和三四年一月に本件土地と同様の事情により控訴人名義で所有権保存登記がされていたが、昭和三七年九月二一日第一工業株式会社に売却されたこと、山田は右売却により、譲渡所得を生じたとして昭和三七年分所得税の確定申告なし、税額二万七、二〇〇円を納付済みであることが認められるが、右建物については第一工業株式会社への譲渡が控訴人名義でされているのに拘らず、右譲渡に関して控訴人に法人税が賦課されたことを認めるに足りる証拠はない。
叙上認定の事実を総合して勘案するならば、本件土地は登記簿上控訴人の所有名義であつたが、実質的には山田茂個人の所有に属していたものであり、従つてその大源株式会社に対する譲渡による収益も、実質上の所有者であつた山田に帰属したものというべきであるから、右譲渡益である前記の一、四七三万三、三〇〇円が控訴人に帰属するものとしてした本件更正決定(ただし、本件審査決定により一部取消された更正決定の残存部分のみ。控訴人の本訴請求も、本件更正決定の全部の取消しを求める趣旨でばなく、右残存部分の取消しを求める趣旨であると解される。)は、実質所得者課税の原則に反する違法な処分であつて、到底取消しを免れない。
三、次に、本件審査決定の書面には「譲渡した土地について審査した結果、その所有者は法人と認められるので、譲渡益は法人に帰属すべきものです。しかし、支払つた仲介手数料二九〇、〇〇〇円は当期の損金と認められるので、原処分を一部取消します。」との理由が付記されていることは、当事者間に争いがないところ、控訴人は、右の程度の記載では法の要求する理由付記としては不備であり、本件審査決定は違法であると主張するので、これについて判断する。
本件審査請求は昭和三七年一一月二日になされたものであるから、これについては国税通則法、行政不服審査法の規定が適用され、審査請求に対する裁決書には、行政不服審査法第四一条第一項により理由を附すべきであるが、右のように裁決書に理由を附記すべきものとされているのは、決定機関の判断を慎重ならしめると共に、審査決定が審査機関の恣意に流れることのないように、その公正を保障するためと解されるから、その理由としては、請求人の不服の事由に対応してその結論に到達した過程を明らかにしなければならないものである(最高裁判所昭和三七年一二月二六日判決民集一六巻一二号二五五七頁、昭和三八年五月三一日判決民集一七巻四号六一七頁参照)。そこで、かかる見地に立つて前記の理由附記が右の要求を充たすものであるか否かにつき考えるに、控訴人が本件審査請求をしたのは、本件土地の譲渡益の帰属者が控訴人であるとする本件更正決定並びにこれを維持した再調査決定を不服としたからに外ならないから、被控訴人局長としては、当然右不服の事由に対応して、何故に右譲渡益が控訴人に帰属するかにつき判断の過程を示すべきであつて、譲渡した本件土地が法人(控訴人)の所有と認められるとして判断の結論を示すのみでは足りないというべきである。もつとも、本件審査決定の如く審査請求を(一部)棄却する場合には、当初の更正決定及び再調査決定の書面に附記された理由と相俟つて原処分を正当として維持する理由が明らかにされれば足りると考えられるが、本件更正決定に理由の附記があることは証拠上これを認めることができないし、<証拠省略>によれば、本件再調査決定の通知書には「再調査の請求の全部についてその理由がないと認める」旨の記載があるのみであることが認められるから、結局これ等を通じて更正を正当とする具体的根拠は何等明確にされていないのである。また、控訴人としては、審査請求棄却の理由が本件土地の登記簿上の名義等によるものであることを推知できたと考えられるけれども、附記理由に不備があるかどうかは、請求人が、棄却の理由を推知することができる場合であると否とに拘りのないことは当然である。
これを要するに、本件審査決定の書面に附記された理由は、法所定の附記理由としては不備であつてかかる審査決定(ただし、本件更正決定を一部維持した部分のみ。控訴人の本訴請求も、該部分の取消しを求める趣旨と解される。)は、違法として取消されるべきである。
四、よつて、控訴人の請求を葉却した原判決を取消した上、本件更正決定及び審査決定を取消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用した上、主文のとおり判決する。
(裁判官 亀井左取 松浦豊久 青木敏行)